中国でアニクラを始めた理由と、その経緯

はい、記念すべき第1回目の記事です!

ドンドンパフパフ!!!!

2013年ごろから中国大連市をメインにアニクラを開催してまして、何回かに分けて私語りと中国アニクラ事情?を書いていこうかと思っています。
10連休でちょっと引きこもってるので・・・

それでは今回のお題「中国でアニクラを始めた理由と、その経緯」から、まずは。

 

アニクラとの出会い

そもそもアニクラは2000年代半ばから始まり、その頃の有名所では川崎市の「club 月あかり夢てらす」さん、秋葉原の「MOGRA」さんでしょうか。
僕も2009年にMOGRAさんで「デ、デカルチャー!!」と叫んだわけです。
いや、冗談抜きでカルチャーショックでした。

学生時代は京都に住んでまして、よく「CLUB METRO」さんのドンドン響くミュージックシャワーの中で朝までソファーで寝てたのですが、アニソンやJPOPどころか日本のclub系もあまりかからない時代でした。

社会人になってクラブも行かなくなったなーという時分に、どこかの記事でMOGRAさんの活動内容を発見し、公式ウェブサイトを見るわけです。そしたら、アニメ系のイベントが並んでるわけですよ。
もうびっくりですね。
そして、同時に不思議にも思ったのです。

(クラブでアニソンかけて盛り上がるのだろうか???)

ここで私の性癖・・・ではなく、趣味の話も関わるのですが。
昔からアニメ・ゲームは好きでして、基本オタクなのです。

アニソンは子供の頃からカセットテープが擦り切れるぐらい聴いていたし、好きな曲は「機動戦士ガンダムIII」のED曲「ビギニング」。小学生なのに熱唱してました。尊敬する人物は「ランバ・ラル」。一番好きなアニメは(今でも)「ふしぎの海のナディア」。

ゲームミュージックも大好きで、これも小学生時代に兄とカセットテープを買いあさり、ナムコ、セガ、コナミあたりはほぼ全部持っていました。

とオタク系文化には理解があったにもかかわらず、「盛り上がるのか??」という感想なのです。
とはいえ、不思議に思いつつも、これまた同時にとても興奮しました。

(めっちゃめちゃ面白そう!!これは絶対に行かないとだめでしょ!!!)と。。。

 

いざMOGRAへ!

やってきましたMOGRA。
事前に公式サイトのスケジュールを見てアニクラがあること確認し、準備万端です。
そして入った先には・・・

めくるめく大音量アニソンワールド!

その日は原曲メインでリクエストも有り、VJもしっかりかかってるアニメ曲の映像を出し、まさに「アニクラ」のお手本となるようなイベントでした。

僕の心は終始(な、なんですかー、これは!?)状態。

酒を飲みながらアニソンを大音量で浴びる。
懐かしい映像を見ながらアニメを語る。
「この曲ある?」と星空サイクリングをリクエストしブチ上がる。

すべてがヤバい。
まさにデカルチャー。

この日は一生忘れられないのです。

 

その頃の中国事情

とアニクラとの出会いを書いたわけですが、ここで再度私事を。

当時、僕は中国の遼寧省大連市で働いてました。
しがない雇われ社長で会社もなかなかうまく行っておらず、精神的にもちょっと厳しい時期でした。
2008年~2012年ごろまで就労ビザだったので、年のほとんどは大連に住んでおり、日本へは出張ベースで戻っていました。
その出張中にアニクラと出会ったのですが、中国にはアニクラはまだ有りませんでした。

当たり前です。
アニクラは当時の日本でも最先端のアングラ文化なのですから。
そう簡単に中国には入ってきません。
その後も出張中にアニクラに通うわけですが、中国ではうんともすんとも始まらず。

4年経って2013年。

我慢の限界がきました。

2013年頃の中国ではアニメイベントというか、コスプレイベントが各地で開催されており、かなり大きな会場で3日間、コスプレチームや個人レイヤーがステージ上でパフォーマンスを行い、優劣をつけて賞金が出るような内容でした。
アニメもほぼほぼリアルタイムで新作を見ており、中国的には80后(1980年代生まれ、ドラゴンボールやスラムダンクを見ていた世代)から90后(1990年代生まれ、当時は一番若い世代で学生さんメイン、ハルヒやレールガン、ガンダムなど新作を好む)に移行していた時代でしょうか。
コスプレや会場で販売している偽物グッズも、ワンピースやナルトなど有名作品以外に、東方、Fate、ギルティクラウン、シュタゲ、まどマギ、黒子のバスケ、SAO、アクセル・ワールド、さくら荘、などなど最新作もしっかりフォローされており、アニメの流行りは日本とあまり変わらない状況になっていました。

そうなると、僕も思うわけです。

(そろそろ誰かアニクラ始めないかな・・・)

始めないね!
誰も始めないね!
というか、アニクラの存在を(少なくとも大連では)まだ誰も知らない!

そう、我慢の限界がきました。

 

そうだ、アニクラ伝道師になろう!

と思っちゃったわけです。
誰もやらないなら自分でやっちゃえ、と。

思ったからにはまずは調査が大事。
最近はPCDJが良い、MIDIコンも2万円ぐらいからある、DJのソフトは何がある、VJはどうする、素材どうする、配線は何が必要か、場所は?集客は?予算は?てか中国でやっていいのか?
色々調べました。
上記のことはDJ主催する上でまず必要なことでしょう。
普通のDJイベントやDJ以外のライブなどの主催ノウハウをネットで調べ、アニクラや中国に適応しつつ、周りの人にも相談して準備を進めます。
こう見えてもいい大人なのです!
(このあたりの試行錯誤やノウハウはまた別途記事で。)

正直いうと、大連という立地と、人にも恵まれました。

大連は日本語人材が非常に多く、たまにタクシーの運ちゃんが日本語ペラペラとか、海外では超絶レアな場所なのです。しかも中国では珍しい親日都市。
場所を提供してくれたバーの店長さんも、奥さんが日本人で日本語ペラペラです。
イベントの内容や当日の流れ、条件などなど、日本語で会話ができるのはかなりのアドバンテージでした。
改めて感謝を。

「無理に日本式を入れず、当時の自分ができることを、中国に合わせてする。」
「まずはイベントやってみよう。」

僕自身もアニクラ主催は初めて、というより、DJすらも初めてなのです。
初主催、初DJで5時間イベント。
アホですね。
若くないけど勢いは大事です。
勢いも大事ですが、もっと大事なのは準備です。

皆の協力と、素材集めなどをコツコツと進めて、イベントを開催したのは1年近くたった2014年7月19日。

その名も「Moe Moe Party!」

うん、わかりやすい。

第1回目の 「Moe Moe Party!」は100人前後来ていただき、反省点は多々ありましたが、大成功だったと思います。

 

まとめ

と、ここまでが今回のお題「中国でアニクラを始めた理由と、その経緯」でした。

2019年現在、アニクラの存在は知られていますが、中国ではまだまだ根付いてはいません。
それは中国だからではなく、日本ではない、という部分が大きいです。
日本が特殊すぎる環境なのです。
まじ日本人未来に生きてんな!てやつ。

伝道師になろう!などと息巻いてますが、まだまだ時間は掛かりそうだな~という。
なかなか難しいですね。

とりあえずこんな感じで始めた中国アニクラ事情。
次回は1回目の「Moe Moe Party!」について、もうちょっと掘り下げてみます!